第21代~第30代のアメリカ大統領
第21代 チェスター・アーサー
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| 1881~1885 共和党
ニューヨーク港の収税官から副大統領となり、ガーフィールド大統領が暗殺された後、大統領に昇格した。 連邦公務員法の制定や猟官制改革などを推進したことで知られている。 共和党生粋の党人ともいわれたが、最終的には党から再選指名を得られなかった。 | ||
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第22、24代 グローバー・クリーブランド
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| 1885~1889、(再)1893~1897 民主党
南北戦争後初めての民主党大統領に当選するが、アメリカ史上で唯一の、1期開けて大統領に再選して2期務めた人物ということでも知られている。また、珍しいといえば、在任中にホワイトハウスで挙式を上げたということでも前例のないことである。 政策面での特徴や印象よりも、こうした起こった事実のことが特徴として歴史に名を残している大統領。 キューバ内乱では中立の立場を主張し、反帝国主義を貫いた。
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第23代 ベンジャミン・ハリソン
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| 1889~1893 共和党
オハイオ州生まれで9代大統領の孫に当たる。 弁護士を経て、共和党結成に参加し、南北戦争では大佐として従軍した。 前任大統領を引き継いでいたが、後任を同じ人物に引き継ぐという、珍しい経緯となった大統領。
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第25代 ウィリアム・マッキンリー
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| 1897~1901 共和党
下院議員時代にマッキンリー関税といわれている高保護関税法を成立させ、オハイオ州知事を経て、産業と労働者の保護を唱えて大統領となる。就任後も合衆国史上最高率の関税を定め、金本位制を推進した。 グァム、フィリピンなどを獲得しキューバを保護国化するなど、合衆国を世界強国へ引き上げていく経緯の中で重要な位置を占めるが、再選後の1901年9月に無政府主義者によって暗殺される。
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第26代 セオドア・ルーズベルト
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| 1901~1909 共和党
海軍次官時代にキューバ介入問題で積極的態度をとり、ニューヨーク州知事などを経て副大統領に就任。 マッキンリー大統領が暗殺され、その後を受ける形で史上最年少の42歳で大統領に就任した。強力な軍備を持って外交を進めていくという考え方でもあったが、日露戦争やモロッコ紛争に対して積極的に収拾に向けての活動をしたとして、ノーベル平和賞を受賞している。 外交に対してアメリカの地位を確保することにも努めた。 | ||
第27代 ウィリアム・タフト
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| 1909~1913 共和党
日米紳士協定の締結やパナマ運河建設計画推進やキューバの秩序回復に貢献した。 日本から贈られたサクラの木をポトマック河畔に植樹したことでも知られている。 大統領を退任後にエール大学法学部の教授を務めたり、最高裁首席判事を務めて、最高裁内の意見調整や業務効率化を推進するなど、退任後の功績が評価されている。 | ||
第28代 ウッドロー・ウイルソン
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| 1913~1921 民主党
学究肌で政治学の博士号も取得し、プリンストン大学学長を経て大統領に就任という異質の経歴を持つ。 就任中に勃発した第一次世界大戦では終始中立の立場をとり続け、戦後は国際秩序を保つことを主張して、パリ講和会議を指導して国際連盟の成立に尽力した。 これらの功績でノーベル平和賞を受賞している。 | ||
第29代 ウォーレン・ハーディング
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| 1921~1923 共和党
オハイオ州の地方新聞の社主から政界入りして州政治から上院議員を経て共和党から出馬して大統領となる。第一次大戦後の不安定な時代の経済状況を軌道に乗せたと評価されている。 その一方で、企業優遇の経済政策も目立ち、汚職事件なども相次ぎ、政権自体が腐敗してきたという印象を与えた。 その心労もあってか、遊説先のサンフランシスコで病に伏すと、そのまま任期途中ながら亡くなった。 | ||
第30代 カルビン・クーリッジ
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| 1923~1929 共和党
マサチューセッツ州知事時代にボストン警察のストライキを収め、法と秩序を保ったとして高く評価された。その後副大統領となり、ハーディング大統領の急死後、大統領に昇格。 翌年再選されて6年勤めたが、就任演説が初めてラジオで中継された大統領でもある。 厳正な人格者ではあったが、大統領としては地味な印象を残している。 | ||












