第31代~第40代のアメリカ大統領
第31代 ハーバード・フーバー
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| 1929~1933 共和党
鉱山技師から鉱山事業家を経て、ウィルソン大統領時代に食糧庁長官となったことから政界に関わるようになる。 産業界出身で実務能力の高い大統領だったが、就任直後に世界恐慌に見舞われて、これが政権としては致命傷となった。 結局、世界恐慌に対して経済復興対策に対して成果が出なかったとして1期で退くことになった。 | ||
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第32代 フランクリン・ルーズベルト
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| 1933~1945 民主党 史上最長の就任期間の大統領。就任早々にニューディール政策で恐慌打開策を打ち出し、行動力指導力が高く評価された。 特に、世論や民衆の動向を把握する能力にたけ、労働と保障を重視した。対外的には国際紛争に巻き込まれないような姿勢を貫いたが、1941年12月に日本が真珠湾攻撃を仕掛けると、世論の後押しを背景に大戦に突入した。 日本にとっては、太平洋戦争を指導した大統領という印象だが、戦後処理や国際平和機構の樹立などを掲げながら、終戦間近に脳溢血で急逝した。折しも、米ソ関係が新たな局面を迎えようとしていた時期でもあった。
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第33代 ハリー・トルーマン
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| 1945~1953 民主党
ルーズベルト大統領の急逝で、国際的には無名のまま副大統領から昇格した。 第二次世界大戦終結時の大統領ということで、日本に対して原爆投下を決断したとされている。戦後処理を進め、「合衆国の外交政策の目的は、我々及び他の諸国民が圧政に脅かされることなく生活が出来る状態の創造にある」 ソ連との対決姿勢が強まり、「冷戦外交」を展開して、その後の朝鮮戦争などへの導火線になったともいわれている。 | ||
第34代 ドワイト・アイゼンハワー
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| 1953~1961 共和党
軍人出身だが、世界情勢の緊張と緩和に取り組んだ。 大統領として初めて記者会見がテレビ放映された。 退任時の演説で、巨大な軍事組織と軍需産業の結合(軍産複合体)の危険性に警鐘を鳴らしたことで知られている。 | ||
第35代 ジョン・F・ケネディ
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| 1961~1963 民主党
アメリカ史上初のカトリック系の大統領として43歳の若さで当選した。その若さに期待する国民も多く、刷新の風が吹いたと感じた国民も多かった。 新しいアメリカを作り上げていくスローガンとして、「ニューフロンティア」を掲げ、テレビなどのメディアも巧みに利用して、共和党候補のニクソンに僅差の勝利を収めた。1963年11月にダラスで暗殺される場面がテレビで衛星中継されていた遊説の場でもあっただけにあまりに衝撃的な最期となった。 黒人への対等の市民権や都市計画、老人医療などの国内問題をはじめ、キューバ危機といわれていたソ連の核実験基地問題や核実験停止条約の締結などの課題と対面しつつ、志半ばで銃弾に倒れた。若さで国民の愛国心を奮い起し、国民的な人気を博した半面、保守派議会は勢力などの反対派の勢力も強かった。 | ||
第36代 リンドン・ジョンソン
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| 1963~1969 民主党
ケネディ大統領が銃弾に倒れて、副大統領から就任した。 ケネディの遺体をダラスからワシントンへ運ぶための空港で待機中だった大統領専用機(エアフォースワン)内で就任宣言をした。 ケネディの政策を継承しながら、議会とも巧みにコンセンサスをとる手腕があり、1964年の大統領選今日では圧倒的な強さを示して当選。人種差別廃止をはじめ、環境保全、教育、福祉の充実などを実現していった。 しかし、65年頃からのベトナム戦争の悪化によって路線にブレが生じて足元をすくわれる形で再選出馬の意思を示さず任期で引退した。 | ||
第37代 リチャード・ニクソン
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| 1969~1974 共和党
民主党のケネディのライバルとも称されたが、1960年の選挙でケネディに破れてから8年後に、ハンフリー候補を破って大統領に就任。就任当初はベトナム戦争の収集もはかどらず、上院との争いでもつまずいたが、北京やモスクワ訪問など、外交面で力を発揮して人気を回復した。 72年の選挙では圧倒的勝利で、その外交能力が高く評価されていることを証明した。 ところが、選挙の再選委員会の策略が露見するウォーターゲート事件で地位が揺らぎ、自信が事件の隠ぺいに手を下したとして退任に追い込まれた。同事件はアメリカ政治史上最大の汚点ともいわれているが、その一方で卓越した外交能力への評価は変わらない。 | ||
第38代 ジェラルド・フォード
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| 1974~1977 共和党
ミシガン大時代はフットボールのスター選手として知られていた。 その後、共和党の連邦下院議員を長期務め、ニクソンがウォーターゲート事件で辞任したのを受けて副大統領から昇格した。日本としては、現職大統領として初めて訪日して、同盟国として関係を強調した親日派ということで人気が高い。 また、75年にはベトナムからの軍隊引き上げなど、クリーンな印象を強く与えていた。ただ、経済政策では高い評価を得られず、1976年の選挙では民主党のカーターに僅差で敗れ引退となった。 | ||
第39代 ジミー・カーター
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| 1977~1981 民主党
海軍士官学校を卒業して、原子力潜水艦の開発などに従事していたが、やがてジョージア州上院議員から州知事を経て大統領に当選した。国内がベトナム戦争後の混乱やウォーターゲート事件の余波もあって政治不信の残る中で、正義と愛情に基づく政治と人権外交を提唱した。 地味な存在ともいわれていたが、現職のフォード大統領を選挙戦で破っての当選だった。「鉄鋼の意志と柔軟(プラスチック)なイデオロギーを併せ持つ」ともいわれ評価された。人権派として、道徳的な立場から国内外の諸問題に取り組んだ。 行政改革やエジプト・イスラエルの和解実現などに尽力したが、国民支持はそれほど高くはなかった。 | ||
第40代 ロナルド・レーガン
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| 1981~1989 共和党
映画俳優出身の大統領ということで話題となったが、俳優時代はどちらかというとB級映画が多かった。 俳優組合委員長を務めて、その雄弁さが評価されて政界へ進んだ。カリフォルニア州知事を2期務めた後に、1976年には共和党大会で指名選挙で破れたものの、1980年には「強いアメリカの再生」を説いて国民の支持を得てカーター大統領を大差で破って当選。 元々俳優だっただけにテレビ映りのよさなどもあって、就任後に人気が上がっていった。外交そのものは素人といわれたが、コミュニケーションの達人として国民に後押しされて、強気な姿勢は崩さなかった。日本の中曽根康弘首相とも親交が深かった。 | ||













